2007年07月18日
'地獄の島'ハイチの宗教音楽
会社が終わるとダッシュで電車に飛び乗り、向かったのがこれ!アサヒビールロビーコンサート第102回「ハイチのヴードゥー・リズム」−デモンストレーション&パフォーマンス−。
「ハイチの」「ヴードゥー」などというだけで辺境好きの血が騒ぐ。一度は行ってみたいけど、実際に行けるのはまだまだ先になりそうだし。ハイチ。
浅草は「金のうんち」アサヒビール本部ビルに辿り着く。光り輝くガラスの向こうに、出演前の着飾ったダンサーの姿が見え、心が騒ぐ。受付で招待状(メールのコピー)を渡すと、「ハシモトさん」と声をかける背の高いスーツ姿が.....
下山くん!
下山くんはNPO法人コミュニティアート・ふなばしの代表で、千葉県は船橋市のアート活動を盛り上げる第一人者だ。
というと、ハシモト、スゴい人と知り合いじゃな〜いと思われがちだが、実際は、お互いが海のものとも山のものとも知れぬ若かりし頃(今だって知れないが)、某ダンスのワークショップでお会いししばらく連絡などとっていたが次第に疎遠になりつつ、月日を経てネット上で再会したという「袖触れ合うも多生の縁」という仲だ。
アサヒビールのメセナ活動に協力してたのかぁ〜すごいじゃない!?
既にいっぱいの座席に割り込み、座布団に腰を落ち着ける。
舞台の上(ただのロビーなのだが)には、テーブルが置かれ、何やら刺繍を施した布と、キリスト像、果物、お酒などが置いてある。
手元に配られたワラ版刷りのハイチの文化について書かれた紙に目を通す間もなく、先ほどガラス越しにちらりと見えたカラフルな衣装を来た背が低く褐色の肌の人が現れる。
今日の出演者は、『マカンダル』という名のハイチの音楽グループで、メンバーには「司祭」という役割の人もいる。......う〜ん、彼の地では音楽と踊りと宗教は今日でも渾然一体となって存在しているのね。
通訳の人が間に挟まり、ヴードゥー教の宗教儀礼や彼らの生活について語られるが、良く意味が伝わらない(^^;)。伝わらなくてもいい!早く始めてくれ!(^^)
楽器としてはドラム。あとは歌というか言葉。そして踊り。
.....なんというか。↑と書いて想像するようなものとは多分結構違う(^^;)
少なくとも私はイメージしてたのとは違った。
「音楽」というより「宗教」「儀式」。
なのだけど、日本の「宗教」「儀式」という言葉の持つ、湿っぽさ、しかめつらしい学問の香り、厳しい修行を支える禁欲主義はない。
「踊り」と言って想像されるような洗練もない。むしろ茶摘み歌のような、盆踊りのような、単純な動きのハーモニー。
そこにあるのは、楽しさ、猥雑さ、原始的な、天岩戸に籠った気まぐれな女神を呼び出すために私たちの父祖が催した宴はきっとこんな風だったんじゃないか?それの南国版!?極彩色の、インコのような、けたたましく、気安く、いかがわしい「祭り」。
または田舎の田畑で若い男女がグループに分かれて囃し合うような、大らかでほのぼのとした開放感。
それらはひとつひとつ、神様ごとに決まったリズム、歌詞、踊りがあり、シチュエーションに合わせて使い分けているのだそうだ。
途中で、若く美しい男女のペアが、ボールルームダンスのように向かい合い踊る、恐らくは婚礼を祝う演目?が印象的だった。スペイン風の長く膨らんだ袖に、ハイチが歩んだ苦難の近代史を思う。
また彼らは、客席を立たせて振り付けし、一緒に歌い踊ったり、舞台の上にお客さんを連れ出してドラムを叩かせたりした。みんな、踊らにゃソンソンとばかりに狭い客席で盛り上がった(^^)
そして今晩のハイライトとでも言うべき、「神懸かり」が起きた(らしい)。
一人の踊り手の女性が、突如奇声を発し始め、その女性の前で希望者はおはらいをしてもらったりもした。
「神懸かり」なんてものが....「神様」がこの地上に降りてきて、人間に乗り移り、喋ったり祈ったりするなんて、目の前でそれが起こったんだよと言われても私には信じられなかったけれど....(^^;)
その「トランス」を信じられるほど私が一体となって盛り上がってなかったせいかも知れない。
「祭り」のもたらす「興奮」状態が、その人をその人で失くす可能性があるとは思っているのだけど、それだけの「共振」状態にはなかった、私はね。
ハイチのヴードゥー教は、私には遠過ぎて、興味深かったが没入できなかった、とでも言おうか?
もっと「音楽」や「ダンス」を期待していた狭量のせいかも????
でも重要なのは、それが彼らの文化の中で今も生きていて、時空を超えて再現可能だということだ。
ことに、こうして土着の生命感がどんどんコンクリートの下に埋もれて見えなくなってしまっている日本の日常と比較したら。
私の感じている疎外感、距離というのは、この文化の生命力の違いに理由があるのかも知れない。
羨ましいような、懐かしいような、でももう決して戻って来ないだろう、遠い世界。
21世紀の文明の利器と見えざる経済に突き動かされながら、今さら神懸かりにはなれないのよ。神様にも見放されているから??
運動して(手拍子とかステップとかやらされて)ちょっと汗をかき、微笑ましく楽しい気分になる一方で、「ううむ」とうなる私がいた。
終了して席を立つと、後ろから今度は別の声で「ハシモトさん」と呼ぶ声が.....
ジンちゃん!!
ジンちゃんは、以前受講していた小林進先生のアートマネジメント講座(既に3年前!!信じられない!!)でご一緒していた、パフォーミングアーツのカンゲキ大先輩である。
最近どうなのよ....(ブログ書いてないでしょ)と突っ込まれつつ、神谷バーで電気ブランと洒落込む夜は更けて行くのであった.....
酒を飲むと神懸かりの時代へ人は戻れるのだろうか??????
関連する記事へのリンク(別ウィンドウで開きます)
■大好きです!アサヒビールのメセナ活動!誰でも応募できるよ。ロビーコンサート
■今回の、「第102回 アサヒビールロビーコンサート『ハイチのヴードゥー・リズム』」プレスリリースはこんな感じ
■前回のロビーコンサートの感激ログ。市民パトロネージュ制も導入されました。「扇情する古楽器、カジュアルなメセナ」
■シモヤマ君の志し高いプロジェクトもチェックしてみて!コミュニティアートふなばし
■浅草に男と女。男同士でも、女同士でも。神谷バー
「ハイチの」「ヴードゥー」などというだけで辺境好きの血が騒ぐ。一度は行ってみたいけど、実際に行けるのはまだまだ先になりそうだし。ハイチ。
浅草は「金のうんち」アサヒビール本部ビルに辿り着く。光り輝くガラスの向こうに、出演前の着飾ったダンサーの姿が見え、心が騒ぐ。受付で招待状(メールのコピー)を渡すと、「ハシモトさん」と声をかける背の高いスーツ姿が.....
下山くん!
下山くんはNPO法人コミュニティアート・ふなばしの代表で、千葉県は船橋市のアート活動を盛り上げる第一人者だ。
というと、ハシモト、スゴい人と知り合いじゃな〜いと思われがちだが、実際は、お互いが海のものとも山のものとも知れぬ若かりし頃(今だって知れないが)、某ダンスのワークショップでお会いししばらく連絡などとっていたが次第に疎遠になりつつ、月日を経てネット上で再会したという「袖触れ合うも多生の縁」という仲だ。
アサヒビールのメセナ活動に協力してたのかぁ〜すごいじゃない!?
既にいっぱいの座席に割り込み、座布団に腰を落ち着ける。
舞台の上(ただのロビーなのだが)には、テーブルが置かれ、何やら刺繍を施した布と、キリスト像、果物、お酒などが置いてある。
手元に配られたワラ版刷りのハイチの文化について書かれた紙に目を通す間もなく、先ほどガラス越しにちらりと見えたカラフルな衣装を来た背が低く褐色の肌の人が現れる。
今日の出演者は、『マカンダル』という名のハイチの音楽グループで、メンバーには「司祭」という役割の人もいる。......う〜ん、彼の地では音楽と踊りと宗教は今日でも渾然一体となって存在しているのね。
通訳の人が間に挟まり、ヴードゥー教の宗教儀礼や彼らの生活について語られるが、良く意味が伝わらない(^^;)。伝わらなくてもいい!早く始めてくれ!(^^)
楽器としてはドラム。あとは歌というか言葉。そして踊り。
.....なんというか。↑と書いて想像するようなものとは多分結構違う(^^;)
少なくとも私はイメージしてたのとは違った。
「音楽」というより「宗教」「儀式」。
なのだけど、日本の「宗教」「儀式」という言葉の持つ、湿っぽさ、しかめつらしい学問の香り、厳しい修行を支える禁欲主義はない。
「踊り」と言って想像されるような洗練もない。むしろ茶摘み歌のような、盆踊りのような、単純な動きのハーモニー。
そこにあるのは、楽しさ、猥雑さ、原始的な、天岩戸に籠った気まぐれな女神を呼び出すために私たちの父祖が催した宴はきっとこんな風だったんじゃないか?それの南国版!?極彩色の、インコのような、けたたましく、気安く、いかがわしい「祭り」。
または田舎の田畑で若い男女がグループに分かれて囃し合うような、大らかでほのぼのとした開放感。
それらはひとつひとつ、神様ごとに決まったリズム、歌詞、踊りがあり、シチュエーションに合わせて使い分けているのだそうだ。
途中で、若く美しい男女のペアが、ボールルームダンスのように向かい合い踊る、恐らくは婚礼を祝う演目?が印象的だった。スペイン風の長く膨らんだ袖に、ハイチが歩んだ苦難の近代史を思う。
また彼らは、客席を立たせて振り付けし、一緒に歌い踊ったり、舞台の上にお客さんを連れ出してドラムを叩かせたりした。みんな、踊らにゃソンソンとばかりに狭い客席で盛り上がった(^^)
そして今晩のハイライトとでも言うべき、「神懸かり」が起きた(らしい)。
一人の踊り手の女性が、突如奇声を発し始め、その女性の前で希望者はおはらいをしてもらったりもした。
「神懸かり」なんてものが....「神様」がこの地上に降りてきて、人間に乗り移り、喋ったり祈ったりするなんて、目の前でそれが起こったんだよと言われても私には信じられなかったけれど....(^^;)
その「トランス」を信じられるほど私が一体となって盛り上がってなかったせいかも知れない。
「祭り」のもたらす「興奮」状態が、その人をその人で失くす可能性があるとは思っているのだけど、それだけの「共振」状態にはなかった、私はね。
ハイチのヴードゥー教は、私には遠過ぎて、興味深かったが没入できなかった、とでも言おうか?
もっと「音楽」や「ダンス」を期待していた狭量のせいかも????
でも重要なのは、それが彼らの文化の中で今も生きていて、時空を超えて再現可能だということだ。
ことに、こうして土着の生命感がどんどんコンクリートの下に埋もれて見えなくなってしまっている日本の日常と比較したら。
私の感じている疎外感、距離というのは、この文化の生命力の違いに理由があるのかも知れない。
羨ましいような、懐かしいような、でももう決して戻って来ないだろう、遠い世界。
21世紀の文明の利器と見えざる経済に突き動かされながら、今さら神懸かりにはなれないのよ。神様にも見放されているから??
運動して(手拍子とかステップとかやらされて)ちょっと汗をかき、微笑ましく楽しい気分になる一方で、「ううむ」とうなる私がいた。
終了して席を立つと、後ろから今度は別の声で「ハシモトさん」と呼ぶ声が.....
ジンちゃん!!
ジンちゃんは、以前受講していた小林進先生のアートマネジメント講座(既に3年前!!信じられない!!)でご一緒していた、パフォーミングアーツのカンゲキ大先輩である。
最近どうなのよ....(ブログ書いてないでしょ)と突っ込まれつつ、神谷バーで電気ブランと洒落込む夜は更けて行くのであった.....
酒を飲むと神懸かりの時代へ人は戻れるのだろうか??????
関連する記事へのリンク(別ウィンドウで開きます)
■大好きです!アサヒビールのメセナ活動!誰でも応募できるよ。ロビーコンサート
■今回の、「第102回 アサヒビールロビーコンサート『ハイチのヴードゥー・リズム』」プレスリリースはこんな感じ
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■浅草に男と女。男同士でも、女同士でも。神谷バー





